広島高等裁判所岡山支部 昭和27年(う)714号 判決
論旨は要するに、被告人は終止一貫して犯意を否認しており、原審証人岡島友司の供述記載によつても、犯意に関しては想像的意見に過ぎないのであつて被告人に不法領得の意思のあつたことを認定すべき証拠がないのに拘らず窃盗罪を認定処断した原判決は事実の誤認であるという趣旨に解せられる。そこで記録を精査し原判決挙示の証拠を検討するに、原審第二回公判調書中証人岡島友司の供述として「本年(昭和二十七年)十月十八日午後七時十分頃……被告人は右手で本を持つて左の上着の下脇にかくしこんだのを私ははつきり見ました……被告人は左手は本を脇下にはさみこんでいるので固定して動かさないで、右手で彼方此方の雑誌を見て歩いていましたが一応出かけましたので、私は表へ出られたら困るからポケツトに手を入れ、身体を大きくして出口の通路に立ち出さん様にしましたところ、被告人はこれはいかんと思つたのか、本を元の棚に返しました云々」の記載があり、右証人の供述記載に徴すると、被告人は判示書籍を不法に領得する意思を以て一旦自己の支配内に移したのであるが、被害者に発見されたものと感付き元の位置に返還したものと推認するに難くないのであつて、単に想像的意見であるとはいえない。加之被告人の検察事務官渡辺栗夫に対する供述調書中被告人の「私は……春雪の門という小説の本が目につき手に取つて見て居りましたが、店の人が気付いていない様子でありましたから急に盗む気になり、こつそりその本を脇の内ポケツトに入れて出ようとしましたが云々」の供述記載があるので右両者を綜合すると、被告人が不法領得の意思を以て判示書籍を窃取した事実は優に認定し得られるので原判決には所論のような違法はなく、論旨は理由がない。
同第二点について。
論旨は被告人が仮に窃盗の目的で判示書籍を脇下に挾み込んだとしても自発的に悪かつたと感づいて元の所に返したのであるから中止未遂である然るに窃盗既遂と認定した原判決は事実誤認であるというにある。
しかし不法に領得する意思を以て事実上他人の支配内に存する他人の財物を自己の支配内に移したときは茲に窃盗罪は既遂の域に達するのであつて必ずしも犯人が之を自由に処分し得べき安全な位置にまで置くことを要するものでないことは最高裁判所判例の示すところである。原判決挙示の証拠によると論旨第一点において説示する如く、被告人は岡島友司方店頭において同人の支配内にある書籍春雪の門一册を不法に領得する意志を以て、自己の着用していた上衣の下脇にはさみ込んで外部から見えないように隠し(外から見えなかつたときは原審証人岡島友司の供述記載によつて明らかである)一旦店を出ようとしたというにあるから被告人の右所為は正しく他人の支配内にある他人の財物を自己の支配内に移したもので既遂の域に達したものといわなければならない。従つて其の後右物件を返還したとしても中止未遂の観念を容れるべき余地はない。